無差別殺傷事件の原因を考える

2019年5月28日 川崎市多摩区の登戸駅付近で通り魔事件が発生 スクールバスを待っていた同区中野島の私立カリタス小学校の児童16人や保護者2人の計18人が男に刺され2人が死亡 犯人も自殺
今回起きた川崎での無差別殺傷事件は、2001年6月8日に、大阪・池田市の大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った男が侵入し、小学生や教員を無差別に殺傷した事件や、秋葉原の事件を思い出す。(2008年6月8日午後0時30頃、千代田区外神田のJR秋葉原駅近くで発生した無差別殺傷事件。2tトラックが歩行者天国となっていた横断歩道に突っ込み、通行人を5人を撥ねた。さらにその後、車から降りた容疑者が持っていたダガーナイフで次々と通行人を殺傷。この事件により7人が死亡、10人が重軽傷を負う大惨事となった。)
今回の事件では 岩崎隆一容疑者(51)が死亡していて、動機などが今は不明だが、同級生が近寄りがたい人間といっていることなどをみると、これらの事件は皆、いわゆる「社会に対して恨みを持っていた」者の犯行ではないかと思われる。 それは犯人なりの悲痛な叫び、もしくは訴えだとも考えられる。勿論このような訴え方はあってはならないことではあるが。幼いころに親類に引き取られ現在は3人暮らし岩崎隆一の両親は離婚し、伯父夫婦に岩崎隆一を託し3人暮らしだったと報道されています。複雑な家庭環境だったのでしょう。そのような生い立ちから、徐々に性格も歪んでいったようです。周辺住民ともコミュニケーションがうまくとれておらず、自分の殻に閉じこもり自暴自棄になった可能性もありそうです。

現代は他人の子に注意ができなくなった

そしてこのような事件は昭和の時代にはそれほど多くはなかった印象がある。私はいま60歳を過ぎていて、昭和、平成、令和と生きてきたわけだが昭和よりも平成に入ってからこのような事件が徐々に増えてきたように感じる。それで、その原因を考えると昭和の時代は、子供の指導や教育を親と学校だけでなく、近所の人たちや場合によれば通りがかりの他人でも愛情を持って、その子供に接して注意もしたりほめたりしていた記憶がある。私の親もそうしていたし、町でもそうした光景は日常よく見かけた。他人の子を注意するのはごく普通のことでした。その根底にあるのは、自分の子供でなくても愛情を注いで良い人間になってもらいたいという気持ちがみんなにあったからだと思います。今の時代はそれがほぼ完全に無くなった。自分の家族のことで精いっぱい。世の中が悪くなって、人が自分や自分の家族に対して注意してきた場合、それを素直に受け止める前に、その人に対する不信感や、世の中を信じられない気持ちが強く、結局その注意を拒否してしまう。逆に他人に対しても注意したいと一瞬思っても、結局干渉しない方が無難だと思ってしまうという風潮が世の中を占めています。子供はいろんな人から注意されたり、愛情を受けたりすることで良い人間になっていくものだと思います。それがない世の中では、こうした事件はまだまだたくさん出てくるのではないかと思います。



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