人は日々の生活をしていくうえで、精神的な支えが何もないと、行き当たりばったりの人生になってしまうので、人それぞれに何か支えとなるものを持っているのではないでしょうか。
私も若いころは、あまりそんなことは意識せず、その日その日を生きていたように思います。
読書をして、あっこれは良い考え方だなとか感じたときに、その言葉をメモしたりはしたことがあります。でもその時々にメモしたことは、勿論バラバラで、良い言葉ではあるが統一感はない。
よく座右の銘という言葉がありますが、この一言だけを常に忘れず大事にしてゆこう、というものが見つかれば、それは自分の精神的な支えになることでしょう。でも私の場合は、そこまで凝縮された言葉には行きつくことはありませんでした。そういうものを求める時、人は宗教に行く場合もあると思いますし、また自分で考えることが好きな人は哲学書に向かう人もあるかと思います。

「好きに生きればいい」

私は後者のタイプだったみたいで、池田晶子という哲学を題材とした文筆家の本をよく読みました。一時テレビにもちょっと出たり、美人で話題にもなった人です。内容は哲学的なことだけれども、哲学書のようにちんぷんかんぷんではなく、一般人にもわかりやすく平易な言葉で書いてくれているので、ほぼ意味はわかりました。(やはり哲学なので、理解できないところも少しありました。)その中で私の心に響いた言葉は、「好きに生きればいい」というフレーズでした。
「14歳からの哲学」という本の’自由’の章の中に書かれています。ただし、これには人間の本性として、人は常に自分にとってよいことをしたいものである、という前提があってのことです。悪いことでも、したいことをすればいい、というのではありません。このことを自分のものにすれば、心は本当に楽になります。何ものからも縛られることが無くなります。平穏で安らかとなります。

好きに生きる、の前提として「善く生きる」が必要

哲学の祖と言われるソクラテスが生涯をかけて訴えていたことの一つが、この「善く生きる」です。ソクラテスの考え方、言葉、生き方をプラトンがまとめた「ソクラテスの弁明」に、魂を善くするには魂への気遣いと知の愛求 が大切と書かれています。自ら考えること、世の中の様々なことを知ることによって自らの魂を善いものへと高め、さらには周りの人々の魂をも巻き込んで、より優れたより善いものへと高めていくことが人生の最大の目的であり、それが善く生きるということになります。このような前提の下で池田晶子は「好きに生きればよい」と言っているのです。私もそうですが、普通の庶民は聖人や君子ではありませんから、日々善く生きるという事ばかり意識することはできないでしょうから、それは心の隅に置いておいて、ときどき反省するぐらいが現実的でしょう。それを一応守りながら銘々好きなことをやっていけば良いという事だと思います。(ちなみに池田晶子さんは 2007年2月に亡くなっています。)



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