まず、この「事件」の発生を振り返ってみると、2019年5月に山口県岩国市立の東小と東中で、「多数の犠牲を防ぐためには1人が死んでもいいのか」を問う思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業を 「学級活動」の時間 に 同じスクールカウンセラーが担当し 行われ、その後児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、両校の校長が授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪した、というものだ。

この問題は答えがない。だから学校での教育には不適切。

私がこの「事件」(トロッコ問題自体ではなく、小中学校で取り上げられたこと)について言いたいことは、先生自身が答えようのない問題を生徒、児童に提示するのは、通常の学校教育ではなくそれこそ生徒、児童に不安感を与えるだけで不適切であるということ。だから学校側も謝罪することになったのだと思います。

「トロッコ問題」自体にも問題がある、と私は言いたい。

そもそも上の絵のような現場(このような状況自体現実的にはまずありえないことだが)に仮に自分が出くわしたとしても、トロッコのポイント操作などほとんどの人間はやったことがなく操作自体ができない可能性がある。また、こういうトロッコが敷設されている場所というのは辺りが山や荒れ野になっていたりしてポイントの装置もどこにあるのか分かりにくくなっているだろう。だから現実にありえない問題、まさに思考実験、机上の空論というべきことであって、真剣に考えるに値しない、いや出題者の悪意すら感じられる(人を困らせて喜ぶ)無益な「問題」だと考えます。

この問題は大学における倫理学の授業では、よく取り上げられるもののようです。大学生ぐらいの年齢になって学問として倫理学を学んだり、研究したりするのであれば、この問題は教材として面白いものであり、考える訓練となるでしょう。しかし小中学生にこれを考えさせるのは、まだ社会勉強も不十分な段階であるし、教育にはならない。不適切としか言いようがないと考えます。

昔の同様な問題。

トロッコ問題と似たもので「カルネアデスの板」という問題があります。古代ギリシアの哲学者カルネアデスが問題提起した事例(思考実験)に関連してこの名がつけられた。洋上で船が難破した際、漂流者が、1人しかつかまれない板を、他の漂流者から奪い取って生き延びた場合、この行為は正当といえるかどうかを、カルネアデスは問うた。この事例は、今日の刑法理論によれば、自分の生命を救うためにやむをえず他人の生命を犠牲にすることが許されるかという刑法第37条の緊急避難の限界を論じたものであるが、結論的には罰せられないとされている。
  ( 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) から引用)

私なりの回答はこうです。

この問題はあまり考えたくないのですが、100歩譲って問題のようなことが現実に起きて、その場に自分が遭遇したら私としては二つのことを答えとしてやってみます。
〈1〉トロッコの行く先に居る5人に大きな声で危険を知らせて、逃げるように仕向ける。
〈2〉大声を出してもその5人に聞こえないとか、とにかくダメならポイント操作をする。ポイントを完全に切り替えると、もう一人の人の方へトロッコが行ってしまうので、中立の位置、真ん中までポイントを操作して止める。そうすればトロッコはポイント切り替えの地点で右にも左にも行けず脱線してすべての人を救える。(上のイラストでは5人及び1人はポイントのすぐ近くというシチュエーションですが、それなら大声を出せば聞こえることになるので、〈1〉の方法で解決するはずです。5人及び1人がポイントから少し離れている場合〈2〉の方法が有効になります。)