いつからこのような無縁社会になったのだろう

(写真は、海外の「おもしろい」と日本の「不思議」を発見するサイト”マダムリリー”より引用しました。)
無縁社会(むえんしゃかい)とは、単身世帯が増え、人と人との関係が希薄となりつつある日本の社会の一面を言いあらわしたもので、NHKにより2010年に制作・放送されたテレビ番組による造語である。
人間関係の希薄化は確かにそう感じることはある。私は60歳を過ぎているので、昭和の時代も生きてきた。昭和はそのような無縁社会ではなかったと言えます。人との関係、交際、通りがかりの人に声を掛けるなど、照れとか恥ずかしさで会話をためらうことはあったかも知れないが、結構人とのコミュニケーションを皆んな気軽な感じでとっていたことを記憶している。そのようなコミュニケーションは普通のことだった。今はそのハードルがとても高くなってしまったように感じる。この無縁社会だが、単に孤独死が増えるということだけが、それよる弊害ではない。子供がもし家族からあまり愛情を受けられないケースでは、今の無縁社会では社会から何らかのアドバイスを受けたり、温かい言葉をかけられたり、励まされたりすることが期待できない訳だから、その子供は悩み、孤独に陥り、社会不信の感情がどんどんと増していくだろう。学校では相談に乗ってくれる友人がおればラッキーだが、それもない場合は逆にイジメにあってさらに辛い目に遭うことも十分にあり得ることだ。

無縁社会は冷たい社会

無縁社会は冷たい社会であり、強い人間しか生き残れない社会だ。みんな人のことを考える余裕はなく、ほとんどは自分のことしか考えていない。人のことを考えようというもの好きな輩は少数派である。そういう社会に生きる、なんらかの弱点のある気弱な人間は、物事をうまくやりこなせず社会の隅で辛うじてその日その日を過ごすしかない。内にこもった表現のしようのないうっ憤のような、社会に対する「恨み」を抱きながら生きている、ということになっていく。そのような人間はけっこうあっちにも、こっちにもいるんだと思う。その中の誰かが、溜まりにたまった感情のダムが決壊するようにして事件となるような行動を起こしてしまうのではないか。この仮説が正しいとするならこれこそが、無縁社会の弊害なのだ。現代は昭和の時代と比べて世の中が悪くなっていると、はっきり感じています。

無縁社会の一つの現象として’伊達マスク’というのがあります。病気でもないがマスクを着けていると安心するということのようです。風邪でもない、花粉症でもないが顔を隠すことで何となく落ち着くから着けるらしい。マスクをしていると自分の表情が人から分からないので本音を隠すことができる隠れ蓑になる。鎧(よろい)を身に着けて自分を守ろうとしているようです。

私は無縁社会というのは、病んだ社会だと思います。そして人が病むのは、病んだ社会のせいである場合もあるように思います。
つまり病んだ人を責めるばかりでは、不公平であり、根本的な解決にはならない。非常に時間はかかるが、社会の方を少しずつ変えていく努力こそが必要だと思います。つまり無縁社会ではなく、支え合いの社会、温かい世の中にしていくということです。ただ一度無縁社会となった世の中は、地球温暖化とよく似て、そう簡単には元に戻せないでしょう。温暖化の場合は二酸化炭素をなるべく排出しないようにしていかなくてはならないですが、世の中全体の仕組みとして二酸化炭素を多く排出するようになって来ているわけだから、社会全体の大きな努力が必要不可欠です。世の中の無縁化も社会全体の現状なのだから、先ずは子供に教えていかないといけないが、それを教える大人自身が無縁状態の人間では教えることができない。だからどちらかといえばまず大人である社会人を人間教育した上で、子供にも教え、皆んなで取り組んでいかなくては変えることはできないでしょう。ということは、この無縁社会を変えなくてはいけないという意識が社会全体にまずひろまることから始めなければならないだろうと私は思います。



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