いつからこのような無縁社会になったのだろう

(写真は、海外の「おもしろい」と日本の「不思議」を発見するサイト”マダムリリー”より引用しました。)
無縁社会(むえんしゃかい)とは、一人暮らしの世帯が増え、社会において他人との人間関係が希薄となりつつある日本社会の一面を言いあらわしたもので、NHKによって2010年に制作・放送されたテレビ番組の中での造語である。(ちなみに、一人暮らし世帯は全世帯の3割を超えています。)
人間関係の希薄化は確かにそう感じることはある。私は60歳を過ぎているので、昭和の時代を約30年間生きてきた。昭和はそのような無縁社会ではなかったと言えます。人との関係、交際、通りがかりの人に声を掛けるなど、照れとか恥ずかしさで会話をためらうことはあったかも知れないが、結構人とのコミュニケーションを皆んな気軽な感じでとっていたことを記憶している。そのようなコミュニケーションは普通のことだった。今はそのハードルがとても高くなってしまったように感じる。


昭和の時代だったら社会生活の中での他人との関わり合いでも、さりげなくお互いに言葉を交わしたりすることは普通にあったように思います。それが今は、人との関わり合いが煩わしく感じたり難しく感じたり、何か話と誤解を受けたり、トラブルになりたくないということで、なるべくなら人と関わらないでおこうという風潮があるのではないでしょうか。
近所付き合いに関しても、アンケート調査によると大体7割の人が近所付き合いを面倒だと思っている。そこには地域とか近所との関りに関心が無く、人と協調するという考えがなく、自分のことも放っておいてもらいたいという気持ちがあるようです。そのように考えることは自由ではありますが、社会生活をしていくうえで人との関りを全く無くしてしまうのは得策ではないし、何か人間として大事なことが欠落しているように私は思います。

この無縁社会だが、昔と比べて孤独死の増加(統計のグラフを見ると右肩上がりに増えている)という現象もあるが、それによる弊害はそれだけではない。子供がもし家族からあまり愛情を受けられないケース(児童虐待など)では、今の無縁社会では世間の人々から何らかのアドバイスを受けたり、温かい言葉をかけられたり、励まされたりすることが期待できない訳だから、その子供は悩み、孤独に陥り、自分と社会との比較をしたとき、抱いてしまう絶望感や社会の無関心さに対するやるせなさと怒りの感情がどんどんと増していくだろう。学校では相談に乗ってくれる友人がおればラッキーだが、それもない場合は逆にイジメにあってさらに辛い目に遭うことも十分にあり得ることだ。

無縁社会は温かみのない社会

無縁社会は冷たい社会であり、弱い人間が生きていくには難しい社会だ。思いやりだとか、助け合いということがなくなり、世の中の人間の多くは人のことを考える余裕がなく、ほとんどは自分のことしか考えていない。(いわゆる、自己中)人のことを考えようというもの好きな輩は少数派である。そういう社会に生きる、なんらかの弱点のある気弱な人間は、物事をうまくやりこなせず社会の隅で辛うじてその日その日を過ごすしかない。内にこもった表現のしようのないうっ憤のような、社会に対する「恨み」を抱きながら生きている、ということになっていく。そのような人間はけっこうあっちにも、こっちにもいるんだと思う。その中の誰かが、溜まりにたまった感情のダムが決壊するようにして事件となるような行動を起こしてしまうのではないか。この仮説が正しいとするならこれこそが、無縁社会が引き起こす重大な弊害だと私は思う。現代は昭和の時代と比べて世の中が悪くなっていると、はっきり感じています。

「世の中が悪くなった」とは、世の中に期待ができない、世の中に頼ることができない、世の中は冷たい、怖い所だという感じ方のことだと言えると思います。また最近はSNSで人とつながるのが極普通のことになってきているようですが、身近にいる他人とのコミュニケーションをうまく取っていくことは苦手という人は多いのではないでしょうか。

無縁社会の一つの現象として’伊達マスク’というのがあります。病気でもないがマスクを着けていると安心するということのようです。風邪でもない、花粉症でもないが顔を隠すことで何となく安心できるらしい。マスクをしていると自分の表情が人から分からないので本音を隠すことができる隠れ蓑になる。鎧(よろい)を身に着けて自分を守ろうとしているようです。2020年の今はコロナの影響でマスク姿が普通となってしまっているので、どれが伊達マスクかは分からなくなってしまっていますが、そのような人たちにとっては丁度好都合ということでしょう。

無縁社会は病んだ社会

私は無縁社会というのは、病んだ社会だと思います。そして人が精神的に病むのは、病んだ社会の方にも原因の一端があるように思います。つまり病んだ人を責めるばかりでは、不公平であり、根本的な解決にはならない。非常に時間はかかるが、社会の方を少しずつ変えていく努力こそが必要だと思います。
つまり無縁社会ではなく、支え合いの社会、温かい世の中にしていくということです。ただ世の中が一度このような無縁社会になってしまうと、地球温暖化の現象とよく似て、そう簡単には元に戻せないでしょう。温暖化の場合は二酸化炭素をなるべく排出しないようにしていかなくてはならないですが、世の中全体の仕組みとして二酸化炭素を多く排出するようになって来ているわけだから、社会全体の大きな努力が必要不可欠です。世の中の無縁化も社会全体の現状なのだから、先ずは子供に教えていかないといけないが、それを教える大人自身が無縁状態の人間では教えることができない。だからどちらかといえばまず大人である社会人に、支え合いの社会というものを教育した上で、子供にも教え、皆んなで取り組んでいかなくては変えることはできないでしょう。
ただ、大人を教育するなどということは、現実には無理。なんらかのキャンペーンというか運動のようなことをやっていき、社会全体に受け入れられるようにならないと駄目でしょう。
学校教育の場においては、勉学ばかりでなく人への思いやりや支え合いの心について教えて行くことが必要だと思います。この無縁社会を変えて、経済至上主義に没頭するのみではなく、人間としてもっとより良い社会にしていかなくてはならない、という意識が社会全体にまず広まることから始めなければならないだろうと私は思います。


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