科学的に、そうちょっと科学や学問風にという意味で、私は別に科学者や学者ではないですが、あくまで科学「的」にです。(笑、<(_ _)>)正月に初詣でで神社をお参りすると、お賽銭を投げて、ガラガラ(正式には本坪鈴)を鳴らし、かしわでをパンパンと鳴らし、手を合わせてお辞儀をし、目をつぶりお願いごとをするのが一般的だと思います。このとき、何かお願い事をすることが「祈り」ですね。祈るということは願い事をするということです。願う相手は人間ではなく、勿論神様です。行く神社によってその神様はさまざまあるでしょう。伊勢神宮内宮(皇大神宮)なら天照大御神、出雲大社なら大国主命、伏見稲荷大社なら宇迦之御魂大神・・・・・・。また地元の八幡さんには応神天皇が主神として祀られている。よく八百万の神と言いますが、調べると本当に多くの神社があり、さらにもっと多くの神々様がそこに祀(まつ)られていることが分かります。日本にはお寺も神社も約8万ほどあり、神社の方がお寺よりも少し数が多いようです。 ちょっと話が横道にそれてしまいました。祈ることの話に戻しましょう。
神に祈る、というのは心の中でそれぞれにイメージされた神に対して語りかけて、その願いをかなえて下さいと、お願いをするということですね。きっと神様はその願いを聞いてくださって、自分が善い行いをしていればその願いをかなえてくれるだろうと思ってお賽銭を入れたり、祈ったりしているんだと思います。それを信じて・・。そう、宗教というものは信じることから始まるし、成り立つものです。日頃、神なんて信じないという人でも神社に初詣とか行っているんじゃないでしょうか。ひょっとしたら、お願い(お祈り)もしてるかもしれません。人間どうにもならないような事態に陥ったときは、「神様助けて下さい」と「祈る」ものではないでしょうか。この「祈り」というものは人間に生まれつき植え込まれた思考パターンのように思います。だれでもみんなそうなっているように思います。

祈りは自己暗示になる。

哲学者キルケゴールは「祈りは神を変えないで、祈る人を変える」と言いました。祈ることで、それが自己暗示になって自分の潜在意識に刻み込まれる。祈りを願いと考えれば、その願いが叶うように自分自身が潜在意識によって、無意識のうちに努力していく。結果、その願いが叶っていく。必ず叶うとは言えないかもしれないが、その方向へ向かっていくのは確かだろう。

自分自身への祈り、他者への祈り

神に祈る場合、多くは自分自身への祈り、こうなりたい、あれが欲しいなどという願いですね。また家族の誰かに対してああなって欲しい、病気が治りますようにとか、これも多いと思います。先ほど言った自己暗示ということを考えてみると自分自身への祈りの場合は、自分が自己暗示にかかることでその望みが叶っていくということは考えられますが、他者に対して祈った場合、その祈りが他者にまで影響を与えるかどうかですが、例えば子供の受験とか、病気などなら本人も合格したいとか、早く病気が治りますようにと願っているはずだから、本人に成り代わって祈っているとすれば、きっとその親は家に帰ったとき神様にお祈りしてきたから大丈夫だよ、と子供に話をするでしょうから、本人が結局自己暗示にかかり、願いが叶うという結果になることは考えられます。本人がそれほど望んでいない事柄を他者が祈った場合は、本人が自己暗示にかかることはないですから、その祈りは叶うことはないのではないでしょうか。

天皇陛下の国民に対する祈り

ここまでは通常の一般人による祈りについてでしたが、天皇陛下の祈りとはどんなものなのか、について考えたいと思います。 作家で旧皇族 ・竹田家に生まれ 明治天皇の玄孫(やしゃご)である竹田恒泰さんの言葉を引用させていただきますと、 歴代天皇は 2000年以上の長きにわたって、すべての国民を我が子のように愛し、その幸せを祈り続けているとのことです。つまり天皇陛下は日本の精神的なバックボーンのようなところがあり、日本という国は天皇陛下がおられるから存在しているのだと言えるのでしょう。このことは日常生活をしている中では、一般人にはあまり意識したことがないことでしょう。日本人として日本で生きる限りは、天皇陛下を折に触れて崇(あが)めるということが大切なんではないでしょうか?

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