問題が発生した時の日本人の思考パターン
平成31年2月21日午後9時22分ごろ
北海道厚真町で震度6弱の地震が起こり、
深夜のススキノでタクシー待ちの行列の一人に報道記者がインタビューした際のコメントが
「なかなかタクシー来ないけど、さぁどうするんでしょうかね?」これは日本人特有の言葉である。
そこに居る皆んなに質問しているのではない。あなたに聞いているのだから
「困ったなあ、さあどうしたら良いかな?」とならないとおかしい。
どうするんでしょう、というのは、そこに居るみなさんはどうするんでしょう、という意味
のはずだから皆んなが「こうしよう」という考えがあるのなら、自分もそうしよう、という気持ちを言っているのであろう。
人と同じようにすることで安心感を得る人が多い
特に大勢の人が集まっているときなどは、他人の行動や考えに先ず関心が行き、それに納得できればそれを自分の考えや行動にする。自分のオリジナルな考えがそこには無い。ことわざにある付和雷同である。どうも、日本人にはこれが多いように思う。
奥田 悠有さんという人のブログで「 booos+ 」というのがありますが、その中で【「個性はいけない」と教えられる日本と「個性は宝」だと教育する海外】という記事を書いておられます。
その内容は、実際に海外に住んでみた経験から一番感じたことは、普段の生活において多少の気の緩みなんて当たり前で、見た目なんか自分の自己満足でしかないことであり、自分だけでなく周りも人の見た目をそこまで気にして生活していないことでした。買い物行く時なんか常に半袖・半ズボン。常に小学生みたいな格好で生活してましたよ(笑)。でも、かと言って自分だけがそういう訳ではなく、現地の人の中にはビリビリに破けた服を平気で着て歩いてる人もいます。もちろん都心部などではあまり見かけないのですが、例えそういう人が街にいたとしても、何か指摘されたり嫌な顔されたりする訳でもありません。日本人にとっては、人の目を気にして見た目を周りと合わせることが、自分の存在意義を確認する方法であって、ちょっと人と違うだけでもなんだか落ち着かない感覚に陥ってしまう。だから「みんなと一緒にすることで安心する」というのが一つの理由なのではないかと思います。
また最近人気が出てきている厚切りジェイソンさん(お笑いタレント、本名はジェイソン・デイヴィッド・ダニエルソン)は、日本人に対する感想として「自信がない人が多いと感じます。たぶん、日本の教育に理由があると思うんですけど……。周りと合わせる必要が子どものときからずっとあって、いざ自分で考えなければいけない状況では、合わせる相手がいないから自信を持ってこれをやりたいとか、こうやったほうがいいとか、思えなくなっちゃう。日本だけだとは言わないけれども、アメリカだとそういう考え方はあまりないです。みんな違っていいんだよ、個性をどんどん出していいよという教育だし、自分の意見を言う機会も多いですから」と言っています。
赤信号みんなで渡れば怖くない
これは1980年に ツービートが漫才のネタの中で言ったフレーズが流行語となったもので、今ではことわざとなり Weblio に「 禁止されていることも、集団でならば心理的な抵抗もなく実施してしまえる、といった意味合いの表現。 」とある。この場合は、考えを他人に依存というよりは、他人がしている悪いことを目にした場合に、悪いことではあるがその他人さんたちは得している、ずるいという考えが自分の中で沸き、自分もしないと損だという心理からだろうと思います。だからこれはみんながそうであるわけではなく、正義感が薄い人の場合だと思います。しかし日常生活を振り返れば、このようなことはけっこう多いように思います。
有名なエスニックジョーク
沈没船ジョークというのがあって、その国の民族性を端的にあらわす笑い話で、そういうのをエスニックジョークと言います。
世界各国の人々が乗った豪華客船が沈没しかかっていて、救命ボートの数が足りないので船長は何人かの人を海に飛び込ませようとするが、その時船長は各国の人に何と言ったか?
アメリカ人に対しては「飛び込めばヒーローになれますよ」
イタリア人に対しては「海で美女が泳いでますよ」
ドイツ人に対しては「規則ですので飛び込んでください」
そして、日本人に対しては「みなさんはもう飛び込みましたよ」
面白いジョークですが、ある意味日本人の弱い所を突かれているみたいで、笑えないことかもしれません。
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